2021.04.06 散文詩

よろしいよろしい、まずもって君は自由だ。だからこの白い木箱の外側に、ダリの髭を描こうが、元気いっぱいはちきれんばかりに回転する四分音符をピンで留めようが、それは君の自由だ。

ただし、箱の中身はすっからかんにしておきなさい。内側の四隅のいずれにも、埃やおがくずのかけらひとつ詰まっていないように。ほら、私が小さな箒を用意した。これで隅々まで綺麗に掃いて、木目を乾かして、空気だけが訪問をするようなこれっぽっちの無駄もない空間をこしらえなさい。

どうだ、気分がいいだろう。風通しが良いというのはこういうことなのだ。諦めて吐き出したときに初めて、君は嘔吐の役目を知る。まるで胃を空っぽにしたように、君の両目も空っぽになり、鼻の穴からは君の古い息が漏れる。

もう一度、起立姿勢で、星と太陽を心に描きなさい。君は決して間違ってはいないが、完成してもいないので、そのようにして黙りこくって君自身を掻き出す必要があるのだよ。

 

 

2021.04.05 散文詩

心傷つくことは人が人として人らしく成るための条件だ。傷ついた君は身を横たえた姿でその手を伸ばして、君ひとりが信じるものに向かって喉から苦痛の言葉を絞り出せばいい。

 

そうだ。

君の手、てのひらは、目の前に置いた銃のバレル、その一つひとつの表面を撫でるためではなく、君が混乱し困惑しながらもその到来を待ちわびる、丸みを帯びた柔らかな光の彫刻を撫でるためにあるのだから。

2021.03.19 散文詩

この曲をひとりで聴いたらあの人はどんな反応を示すだろう?僕はYouTubeでとあるオルタナ・ロックバンドの楽曲を聴きながら思った。昨日の僕も今朝の僕も、てんで頭が働かず、その人への返信メールを仕上げることが叶わない。と言うよりも、素直に白状するならば、伝えるべき言葉・文章がひとつも準備されていない……僕の眼前に、まな板の上に、それらは整列すらしてくれていない。そのくせ、貼ろうと思うリンクの候補だけは次々見つかる。きっと眩しい赤の色や、鋭い硝子の破片や、体の周りを一周する雨粒や、角のこぼれた煉瓦だのに、あの人の心がどうえぐられるのか、僕はそこを実験したいのだろう。

それで僕はちょうどそのとき聴いていた曲のリンクを、メールの想像上の文末に置いてみた。出だしとお尻とのあいだに空の水槽のような大きなスペースを取って、『親愛なるDさま…………………………https://云々』とだけ入力をしてみた。そして椅子を後ろに引き、ノートパソコンの本体から少し離れてその【手紙】の全体を見た。

僕はつい笑ってしまった。そしてリンクの部分だけ削除した。僕が与えようと思うものを、あの人は何ひとつ欲しがってもいなければ貰ったところで喜びもしない、その確率のほうが高い気がした。そして僕自身、……あの人から何をもらいたいのか、ひょっとしたら何も受け取りたくないのか、あるいは期待するものはあってもあの人からそれを受け取ることは夢物語に決まっているさと笑い飛ばしたいのか、……よくわからなかった。

僕は椅子の上で片膝をつき、ノートパソコンの横に置いておいたシリアルバーの箱を開けた。銀色のパッケージを破るなり、無駄に甘いブルーベリーの香りが僕の顔面をむわっと覆った。ホロホロと床に落ちる欠片に悪態をつきながら、僕はにやけ顔でシリアルバーを頬張り、しばしのあいだ窓の外を眺めて呆けることに決めた。

 

 

 

tête-à-tête 134

『ねえ親父さん、僕、おやつ買ってくるよ。コーヒーはいつものでいいよね?』

『おお。爺さんにも生姜飴を買ってきてくれ』

『母さんはリンゴ飴のほうが好きだったんじゃけどなあー』

『そうな、それで一度喉に詰まらせて死にかかったもんな。婆さん、あっちで元気にしてるかね?』

マーティンはストラストヴィーチェ・ジュニアとシニアの会話にくすくすと笑いながら、黒のコートを羽織り、同じように黒の山高帽を被って店のドアを開けた。

『それじゃ、行ってきます』

『おお、頼んだぞ』

春めいてはきたものの、外はまだまだ北風が身にしみる寒さだった。マーティンは静かに店のドアを閉めると、コートのボタンを留め、馴染みの菓子屋のある方角へと歩き出そうと通りのほうに振り向いた。

けれども振り向いた瞬間、マーティンは数メートル離れたところで自分のほうを見て立っている女性と目が合い、体が固まった。そしてわずか1、2秒後には肩を震わせ、まるで全身の力が一気に抜けたように舗道にひざまずいた。

マーティンがくずおれるのを偶然店のなかから目撃したジュニア親父は、マーティンが具合でも悪くなったのかと思い、急いで店から飛び出した。

『どうしたマーティン!』

ジュニア親父が店のドアを勢いよく開けると、そこには立て膝のまま顔を真っ直ぐに上げ、ポロポロと大粒の涙を流すマーティンの姿があった。ジュニアがマーティンの視線の先を見ると、そこにはクリーム色の長いコート姿のレイチェルが笑顔で立っていた。

『あっれー、あんた……!』

驚きを隠せないジュニアに向かって、レイチェルは笑顔で会釈をした。そして一歩一歩ゆっくりとマーティンのもとへと近づいていった。

『ちょっと、……早かったかしら?』

改めてマーティンの目の前に立つと、レイチェルは苦笑した。日の光が胸元の翡翠のペンダントに当たり、キラキラ小さく輝いた。レイチェルは泣きながら自分を見つめるマーティンに、そっと右手を差し出した。マーティンはその手を取って立ち上がると、思い切りレイチェルを抱き締めた。

『早くない。早くないよ、』

マーティンはレイチェルの肩越しに叫んだ。

『ほんとは死にたくなるほどの気分だったんだ。君がそばにいてくれないってことに。ほんの数年だったかもしれないけど、もうこれ以上は待てない気分だった』

ストラストヴィーチェ・ジュニアは微笑むと、ふたりを舗道に残し、黙ってドアを閉めて店のなかに戻っていく。レイチェルはマーティンの髪を撫で、満面の笑みでその唇に口づけた。そしてふざけた口調で提案をした。

『これからも私、あなたのおうちに押しかけて、お昼ご飯を作りに伺ってもよろしいかしら?それはそれはしつこく玄関の呼び鈴を鳴らして』

マーティンは涙目で何度も大きくうなずいた。レイチェルも笑ってうなずいた。

『じゃ、そうする。絶対に部屋に突撃してみせる。それであなたをウンザリさせるくらい、ずっとそばにいる。本気よ。ジョークでピンポンダッシュなんか、するもんか』

マーティンはピンポンダッシュをして逃げていくレイチェルを想像し、思わず吹き出した。

『手、出して。右でも、左でも』

レイチェルはネックレスのチェーンから翡翠の指輪を外し、マーティンに見せた。驚いたマーティンは右にするか左にするか慌てふためいたけれど、結局、右手を出した。

『とりあえず、薬指ね』

レイチェルは震えるマーティンの手を取ると、その薬指に指輪をはめた。そして笑ってその手を握った。

『これからどこへ行くつもりだったの?また喫茶店で砂糖いっぱいのコーヒーをガブ飲み、かしら。いずれにしても、もうひとりでは、どこにも行かせないわよ。だから私も連れてってね、妖魔さん』

マーティンは涙を拭って笑った。そしてレイチェルの腕を引っ張ると、突然、子どものように駆け出して、菓子屋のある方角へと彼女を引き連れていった。

 

 

 

おしまい(また、いつか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

tête-à-tête 133

1904年3月14日。ホワイト・ヘイヴン、入国審査場。午後2時。ひとりの女性が入国審査手続きを終える。60代前半とおぼしき女性審査官は手続きとは別に、彼女に私的な質問をした。

『そのネックレス、とっても素敵ね。翡翠……でいいのかしら?』

質問を投げかけられた女性は笑顔で答える。

『そう、翡翠です。綺麗な色をしてますよね』

審査官はべっ甲のフレームの眼鏡をかけ、女性の胸元で輝く翡翠を改めて見た。

『あれ……、それ、指輪?』

女性の笑顔は更に大きくなった。

『そうなんです。さすがは審査官、目のつけどころが違いますね』

『指にははめないの?』

すると女性は愛おしげに、右手の指先で翡翠を撫でながら言った。

『これはもともと、ある方のもので。その人に渡すために、持ってきたんです。サイズも、私が使うにはほんの少し大き過ぎるしね。……あっと、ここを出る前に、聞いておかなきゃいけないことがあるんだった』

『何かしら?』

女性はクリーム色のコートのポケットからメモを1枚取り出して、審査官にたずねた。

『行きたいところがあるんです。市内、のはずなのだけど。エスター通りっていう通り』

『ああ、あそこね、』

女性審査官は大きくうなずきペンを取ると、メモを自分に渡してくれるよう促した。

『審査場を出てすぐのところに、市内行きの乗り合い馬車が何台も停まっているの。そのうちのどれに乗り込んでも大丈夫。それか、向かいにある鉄道駅ね。コイェンボー線っていう路線。Kollęnborrg。プラットフォームは6番。ここに書いておくね』

審査官はサラサラッとペンを走らせ、笑顔で女性に紙切れを返した。

『出口はあそこ、新しくできたS8ゲート。このまま真っ直ぐ行けば迷わず外に出られる。ご心配なく』

『ありがとう』

女性は床に置いた鞄を手にし、ゲートに向かって歩き出す。すると審査官は女性の後ろ姿に向かって笑顔で声をかけた。

『最後の質問。これからお会いになるのは、ご家族?それとも恋人かしら?』

その言葉に女性は振り返ると満面の笑顔で手を振り、【Enigloyęlte!(永久に愛する人!)】と叫んでその場を立ち去っていった。

 

 

 

 

 

tête-à-tête 132

1904年、3月14日。ホワイト・ヘイヴン市内のエスター通りにある、ストラストヴィーチェ書店。平日の午後2時。マーティンはシリルから届いた手紙を読みながら、いつもどおり会計カウンター横のデスクで店番をしている。

 

マーティンへ、

 

暇だから書いてみた。

 

この前、ある噂を耳にしたんだ。

アヴァリエの連中、教会の紛争に本格的に加わり出しやがったらしいぜ。

どっち派なのか、真相は知らない。俺の勘では、ドルパ・ドネルン派だろうと。基本的にアヴァリエに入るような奴らは、【メジャー路線】を嫌うから。デカい組織を地下で潰しにかかるっていうのが大好きな、ドブネズミ野郎ばかりだし。

 

俺とリディアはもう関与してないから、しれっとした顔でスルーしてる。ブラック・マストへも行かなくなって久しい。そりゃそうだよな、50手前の男と女があんなとこで飲むわけにはいかんだろ。

 

それで今年に入ってからは、まあ、ラウンジというかサロンというか、市内の宿のケツにくっつけられた店で飲むようになった。俺ら金持ちじゃないんで、出入りできる場所なんて、たかが知れてるけどさ。とりあえずは落ち着いて飲める場所。だからまた今度、お前とどこかの店で落ち合えたらと思ってる。

 

絵本、全く持って行けず、申し訳ない。ここんところリディアの奴、不思議なものばかり読んでるんだ。心理学とか、国文学史とか、いろいろ。たまにがきんちょどもが出てきて、絵本の読み聞かせをせがまれはするけど。いったい、何を企んでいるのかなとは思う(苦笑)。

 

今週末にでもまた、書店に会いに行くわ。リディアと3人で、夕飯を食おう。

 

それじゃまた、

 

シリル・J・レイノルズ

 

 

読み終えた手紙を封筒に戻していると、ドアの呼び鈴とともにストラストヴィーチェ・ジュニアが父親のシニアとともに現れた。マーティンは笑顔でふたりを迎える。

『お昼ご飯、おいしかった?』

『ああ、お前のおかげで久し振りに親父にうまいもん食わせてやった。ありがとな』

『鷹の肉というのはウェルダンでは固くて噛み切れんのうー』

『今日食ったのは鷹の肉じゃないだろ、親父。ウサギだよウ・サ・ギ』

ストラストヴィーチェ・ジュニアは呆れ顔で溜め息をつく。そしてふとあることを思い出してマーティンに言った。

『ああ、ところでそうそう、お前にも報告しとかないといかんな』

『どうしたの?報告って、何を?』

マーティンはデスクの上の包み紙に手を伸ばすと、中からゴソゴソといちご飴をつまみ出し、口に放り込む。同じようにしてジュニア親父が包み紙に触れようとすると、すかさずマーティンはジュニアの手の甲をひっぱたいた。

『いいじゃないかよ1個くらい』

『その前に、報告っていうのは?』

マーティンは頬杖をつき、にやにやしながら待った。するとストラストヴィーチェ・ジュニアは背筋を伸ばし、【おっほん】と咳払いをして答えた。

『大学院に進むことに決めた。まあ、お前からすれば大したことではないだろうが』

『すごいじゃない!』

マーティンは満面の笑みで包み紙を破り、いちご飴をデスクの上いっぱいに広げた。

『そこまで大量の飴は食いたくないけどよ』

ジュニアは閉口した。マーティンは自分のネクタイを整え、ふざけたそぶりで言ってみせた。

『それでは今後はわたくしが指導教官の役を買って出ますので。論文作成、口頭試験ともに、スパルタ式にダメ出しをさせてもらいますよ。いいですかストラストヴィーチェくん、覚悟しておいてくださいね?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

tête-à-tête 131

1901年3月下旬。ホワイト・ヘイヴン市の北にある、シュタステン湖国立公園。シリルとリディアはその国立公園から鉄道で10分ほど市内寄りの町にその日の宿を決め、公園の入口で入場券を買い、湖までの小道をふたりで歩いていく。リディアはシリルの右腕に自分の左腕を絡ませると、少し申し訳なさそうに言った。

『マーティンさんも誘えば良かったかな。あの人、ひとりにしておいて大丈夫かな』

『あいつを邪魔者にはしたくないけど、3人で、ってのは俺にはきついわ、』

シリルはリディアの体を引き寄せて苦笑する。

『素直に嫉妬する。お前があいつに親切にしてると』

リディアは思わず大笑いした。そして、まるでタオルでも絞るかのように、シリルの腕を両腕でぎゅうっと抱き締めた。

『それなら私、もっとあなたに親切にしないとね。今日は手ぶらで来ちゃったけど、明日以降のピクニックにはあなたの好物のハムサンドをお作り申し上げます』

リディアはそう冗談めかした直後、ピタリと歩を止め、真っ直ぐにシリルの目を見つめる。そして周囲に誰もいないことを確認すると、より一層深くシリルの目を見、彼の首に腕を回して口づけをした。ふたりは道の途中で立ち尽くして、数たび口づけを交わした。

『……どこに捨てたらいいと思う?』

シリルはリディアを抱き締めながらたずねた。

『俺のと、お前のと、計2丁。持っていたところで、また揉め事に巻き込まれるだけの代物なんだよな』

シリルはリディアから一度体を引き離すと、ミリタリーコートの内側に着けたホルスターから、自分の小銃を抜き取る。リディアも長いコートの前ボタンを外すと、細い紐で腰に巻き着けたヌメ革の袋から、自分の銃を取り出した。

『ブラック・マストにたむろしてる連中から、たまたま聞いたんだ。アヴァリエのメンバー、武装解除のフリをして教会の武装勢力に銃を横流しして、教派対立に間接的に加担してるって』

『私たちもう飽きたよね、そういうの』

リディアはもはや弾の込められていない銃を右手で構えると、腕をぐっと上へ伸ばし、空に向けて撃つ仕草をした。そして再び腕を下ろすと、首を横に振り、黙ってシリルに微笑みかけた。

 

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『どうだろう。どのあたりがいちばん深いのかな』

シュタステン湖に到着すると、シリルは湖の全景を見渡してリディアにたずねた。シュタステン湖はホワイト・ヘイヴン国にある湖のなかでも、これと言ってとりたてて大きい部類には入らなかったが、水深に限れば1、2を争う有名な場所だった。リディアも湖を取り囲む景色全体を見回して言った。

『とりあえず、半周ほどしてから決めましょう。最終決定は、あなたに任せる』

リディアのそのひと言を合図に、ふたりは寄り添いながら湖の周りをゆっくりと歩き出した。水辺とあって、空気が皮膚に刺さるほど冷たかった。湖のところどころには、中途半端に溶けたり固まったりを繰り返した板状の氷が残っていた。あたりにはふたり以外に人っ子ひとりおらず、周辺の森林から鳥の鳴き声が響いてくるだけだった。

7、8分歩き続けたところでシリルは歩みを止め、湖のなかを覗き込んだ。

『ここらへんにするか』

『OK』

ふたりは互いに見つめ合うと、再びそれぞれの銃を取り出し、うなずいた。そしてリディアは先ほどと同じようにしっかりとした眼差しでシリルを見つめると、深呼吸をして笑った。

『ちょっと、とーっても勇気のいることを言っちゃおうか』

『何』

リディアはもう一度、肩で大きく深呼吸をしてシリルに微笑んだ。

『ちょっと、女らしくないこと。今日これが済んだら、今晩は私、あなたを抱きたい。あなたが昔、私に対してそう思って言ってくれたように、私はあなたのこと、あなたのぜーんぶが好きで大切でかけがえがなくて、あなたを愛してる。だからあなたのこと、もう、丸飲みにしてしまいたい』

シリルは静かに微笑んで言った。

『ありがとう。蛇女の気持ちは、よーくわかった。俺の背骨まで、思う存分気持ち良く飲み下して、その腹に収めてくれ。じゃあ、いちにの合図でいくぞ?』

『了解』

『いち、にの、ハムサンドイッチ!』

ふたりは一気に空高く銃を放り投げた。銃は日の光でキラキラその身を輝かせながら、上空でくるくると回転を繰り返し、そのわずか数秒後に湖面にぽちゃりと音を立てて落下した。そして、落下直後にプクプクと現れた小さな気泡もやがて姿を消し、岸に規則的に打ち寄せる波の音だけが静かにその場に残った。