精神的に辛く苦しいことがあり、今朝は随分と濃密な学びと救いを求めてしまった。それで今、やや疲労している。
ただそのおかげで、気づいたことがある。
私はほとんどもう、人生の集大成に入ったのだなと。
完全に一線を越えたわけではないのだけども、その一線にぐっと近接した位置に、今はいる。引き返すのは、だからもう、馬鹿らしいと思う。だってせっかく、ここまで来たのだから。
残りの人生で私がしたいこと、それは神に仕えることだ。
とてもおこがましいけれど、もし、もし神さまが何かお困りになったり、憂いを感じられているときには、そのお気持ちに寄り添い下手なり私なりにお助け申し上げられるような、そんな存在になりたい。
私はいつも心のどこかで、
『お慕い申し上げる』
ということに憧れを抱いていた。
静かに、ガチャガチャと慌てふためくことなく、あれこれせわしなく口を動かすこともなく、ただ淡々と、心の底から信頼できる方にお仕えし、お慕い申し上げる。それが私の、密かな夢のひとつだったように思う。
お慕い申し上げるというのは、安心しているということだと私は思う。相手に任せるということでもあると思う。そうした気持ちを貫くことが、『信じる』ということなのだろう。
私の夢は、自己実現であり同時にまた自己実現ではないとも言える。なぜなら、相手があってこその夢であるから。
大変だけれども、そんな夢を少しずつ少しずつ叶えていくために、一日一日をできる限り重く生きたい。私ひとりの生き方・時間をどうするか?という視点だけではなくて、その限られた時間を神さまとどうやってシェアしていけばよいのか?ということも、しっかりと考えていきたい。