生活感の欠如

昨日ちょっと出かけてから、気分がおかしい。

日常生活というものが、今までになく煩わしい。

食事も、作るけど食べるのはどうでもいい。片付けるのも、面倒くさい。

掃除はOK。

夜、横になるのは構わないけれど、眠るという仕事が面倒くさい。

外を歩くとき、空を見上げるのは好きだけど、街並みや人の姿を目に入れる作業が嫌で、見たくないものばかりが散乱している。

 

部屋でひとりで読書をしているときが、なんだか巣ごもり感覚いっぱいで、とても抽象的な時空のなかにいられるような気がして、自分にとっては最も意味のある時間だったりする。

 

これ。

いじめ後遺症だとわかった。

ここでは信仰とは必ずしも関係がなくて、後遺症によって、日常的なもの・この世的なものから分離したいという気持ちがこれまでになくはっきりと出てきたのだと、始めて理解できた。

 

いじめ・虐待を体験していない人々とは全く異なる世界で生きてきたのだと、今更ながら【肌で】感じた。アタマでの理解ではなく。

 

自分の気持ち、要望を尊重しよう。

外界に関心が持てないのなら、日常生活に楽しみを見出せないなら、それでいい。読書をしたいだけして、抽象的なことを好きなだけ考えて、自分の宇宙にひきこもっていればいい。

 

それで身の安全が保たれるなら、それが私にとっての最善の生き方。他人と比較してどうのという話ではないし、他人からあれこれ指導されたくもない。

 

自分はあまりにも、周囲とは違う。

自分は自分なんだ、もう自分基準でいいんだ。

とにかく、そう考えることにしている。