通称生活を少しずつ、板につかせる

適当に応募しておいたお試しサプリメントが、昨日だったか一昨日だったかに届いていた。

 

モニターとして当選したので、実際に毎日『お召し上がりになって』、後日何かしらのアンケートに答えなければならない。

(※なぜ自分に敬語を用いているのか、自分にすらわからない状況。アタマが故障中なのか、気分不良なのか。アホやな。)

 

…いや、モニター云々というのはどうでもいい。

通称でサプリメントが届いたのが、嬉しかった。

 

実のところ、試験的にやってみたのだ。言い方は悪いが、まずは手当たり次第かつ手っ取り早く、通称使用の実績を作りたいのである。それで自分自身の心が喜ぶか、『いや、やっぱり違うかもな』と待ったをかけるか、様子を見てやろうということである。

 

実際にこうして初めて通称宛ての荷物を受け取ってみて、私は心のなかで小躍りをした。これでいい、これでいいんよ、皆さん今後はワタシのことをこの名前で呼んでくださいよ、と。

 

何だか、解放された気がした。裏を返せば、いかに実名が憎いのかということが、『味わえた』。

 

私はサプリメントが入っていた小さなダンボール箱から、宛名ラベルを切り抜いて、ファイルに収めた。

 

ものすごく厳密に管理するつもりはないけれど、何年何月に通称宛ての郵便物が届いたかの証拠として、宛名ラベルや請求書・領収書、手紙のたぐいは保管しておきたい。現住所に届くというのは、実生活で利用していることの表れなので、アピールポイントとしては重要だろうと思う。

 

将来、家庭裁判所にこれらの証拠などを持ち込んで、本当に改名手続きを行うかは、まだまだ未知数だ。体力的な問題がいちばん大きい。けれども、最終的に『本当にやっちゃうもんね』というところまでたどり着けなくとも、私は今後一生、通称を用いる心づもりでいる。理由は簡単だ。そのほうが幸せになれるからである。