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『外、まだ雨降ってる?』

マリオンは濡れそぼった靴下を暖炉の前で振り回しながら、妹のアイリスにたずねる。ビレホウルは雨の多い国で、特に秋冬は突然土砂降りに見舞われることがしょっちゅうである。

アイリスはアップライトピアノの椅子に腰かけたまま、窓のほうへ向き直る。その窓はレン家のなかでいちばん大きく、裏庭一面が見渡せる。

『相変わらずね。1月って、こんなに降るもの?私、あとでお祖母ちゃんのところにビスケットを届けに行かなくちゃいけないのに』

『馬車を呼べばいいよ』

マリオンは暖炉のある応接間から答える。こちらの部屋の窓は厚いカーテンで覆われていて、外から光が入らない。天井の小さなシャンデリアひとつでは申し訳程度の明かりしか得られず、床一面に敷き詰められた重厚なじゅうたんがますます陰うつな印象を与える。アイリスは椅子から立ち上がると、ピアノ脇の小さなテーブルに置いておいたビスケットの包みを持って、マリオンのいる応接間に入る。

『お兄ちゃんも1枚食べる?午前中に焼いたの』

『ああ、食べる』

マリオンはアイリスのほうを向いて大きく口を開ける。アイリスは包みから大きな1枚を取り出して、マリオンの口の前に持っていく。マリオンはビスケットをくわえて話を続ける。

『ごのまえのびずげっどよりあまぐないといいんやげど』

『じゅうたんにヨダレ垂らさないでね、お兄ちゃん』

アイリスは包みを巻き直して、年季の入った灰色のラウンジソファにポンと置く。ソファの中央に広げられたままの膝掛けを畳もうとしたとき、玄関のベルが鳴る。アイリスは素早く玄関へ向かい、ドアを開ける。するとそこには母のレイチェルと父のピーターが立っている。

『パパ、ママ!』

『悪いね、書斎に鍵を置き忘れてしまったようで。いてくれて良かった』

ピーターは長傘を折り畳むと、レイチェルの背中に手をやり、彼女を先に家に入れる。レイチェルは買い物袋を胸に抱えたまま、首を左右に振ってマフラーをほどこうとする。

『ママ、私荷物持つよ』

アイリスは雨に濡れて半分透けた買い物袋を受け取る。じゃが芋のごろごろとした感触が、袋を通して伝わってくる。母親のレイチェルはマフラーを外してふーっと大きく息を吐く。

『もうパパったら、荷物ひとつも持ってくれないのよ、ちっとも紳士的じゃない』

『だって君が傘を差してくれたところで、僕の頭に届かないじゃないか』

ピーターは笑って自分と妻の身長差を手で表す。彼は192センチ、レイチェルは160センチである。レイチェルは爪先で軽くピーターの足首に『蹴り』を入れて笑う。

『今日はせっかくお買い物に行ったのに、蕎麦の実が売り切れていたの。仕方ないから鮭の燻製と、揚げ芋と、香草のサラダにでもしましょう』

『また揚げ芋ぉ?』

アイリスはわざとウンザリした顔で反応する。

『ママはいっつも大量に揚げて、残り物の冷え切ったお芋をつまむのが好きよね。あんなもののどこが美味しいのかって、ホント見ていて謎』

『学生時代からのクセなの、なんだか昔を思い出して懐かしくなる』

レイチェルは濡れた銀色の髪にハンカチをあてて、ニコリと笑う。マリオンは母親と妹の会話を聞いて、何かを思い出したような思い出さなかったような、不確かな気分になる。