題名すらつかない午前のぼやき

会いたい人がいる。

どうやったって会えない人だ。

たとえ仮に私がどこぞの国の億万長者で成金御殿に住んでいて、今持ち合わせているすべての財産をその人のためにホイッと投げ出したとしても、私は絶対に、その人には会えない。もっと言っちゃうと、私自身が死んでも、会えない。

 

それで考えた。

会えないのなら、はてどうだろう、自分がその人になってしまえばいいのではないか、と。

髪型も、服装も、身振り手振りも、歩くときの最初の一歩の踏み出し方も、目くばせの仕方も、食事の好みも、お気に入りの場所も、旅の仕方も、ペンの握り方も、びっくりしたときの表情も泣き方も、あぐらのかき方も、誰かを憎んだときの心も、すべて、その人のものを吸い込んで『身に着けて』しまえばいいのではないか。

 

そう。

その人のために、自分のほとんどを捨ててしまえばいいんじゃないか。

すべて、と言ったら、うーん、ちょっとそこまでの勇気はないかもしれないけど。

 

今日も体調・気分ともにすぐれず、朝食後にいつもどおりキェルケゴールを読んで、それからなんとなくジョン・ダンの『蚤』を読んだ。あんまり、頭に入らない。心が揺れない。視界も広がらない。『蚤』関連の大学論文も読もうかと思ったけれどーそう、思いこそはした!ーどうにも気が滅入っていて、やめた。逃げた。諦めた。

 

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マヤコフスキーが会いたい人というわけではないのだけれど(全然違う)、私は彼のこんな挑戦的、挑発的で鷹のように鋭く生意気な目が好きで(ふてくされた口元も!)、よくこの写真を眺めては多少幸せな気持ちにさせてもらっている。私が思う『美人』のひとり。

 


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