幸せは、些事を匙ですくえばこそ。

私はこの社会ではこれっぽっちも幸せではない。全くもって、何ひとつ、幸せなんかではない。

けれども夜明け前、小鳥たちが無事に目を覚まし、これから今日一日、ケガをすることなく羽ばたき空を舞い、みみずや羽虫といった糧にありつけ、夕方になればいつもどおりに宿に戻るという光景を想像したとき、私は恐らくいちばん幸せを感じる。

大学生の頃。私は同級生の男から、こんなひとことを嘲笑とともに吐き捨てられた:そんな些細なことで笑うなんて、あんたよっぽどつまらない人生送ってんだね。

それ以来私は、些細なこと、とりとめもないことに幸せをかみしめることに、罪の意識を感じるようになった。それで、それまで以上に、心から笑えなくなった。心から喜ぶことも、できなくなった。私は所詮、あんた呼ばわりされるだけの、でくのぼう扱いされるだけの、無能者なのだと。

それでも私は、1日のうちたったの数分でも、小さな小さな匙で些事をすくい、その些事のなかに広大な世界を夢見て、自分自身という人間の内面とより一層深く確かにつながっていくことに、言いようのない充足感を覚える。これはきっと、10代の頃からそうだったのであろう。ただただ、自分はそういう者でありたかったし、そのようにありたいと願い続けていれば、必ずやそんなふうになることはできる。ただそれだけのこと。

 

私自身が、あるいは他の誰かが何か大きなことを成し遂げたとか、そんなことは私にとっては何の幸せでもない。興味すら、ない。とにかく私は、何か小さくささやかなものが、つつがなく今日この日のなかで、誰に省みられることもなく生きているということが、嬉しいだけなのだ。