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4月初旬のとある夕方。激しい雷雨。雨合羽姿のひとりの女性がアパートの階段をゆっくりと昇っていく。2階の最も奥の部屋、6号室にたどり着くと、女性は鉄製のドアノッカーをコンコンコンと軽く鳴らす。外からは雷鳴と風の音が入ってくるが、ノックの音がかき消されるほどではない。女性はそのままドアの前で待つ。

数秒後、ドアが開く。女性は微笑みを浮かべ、真っ直ぐ前を見る。その手には小箱を携えて。

『はい、どちらさまで…』

出てきた男性はまるで不意を突かれた様子で、彼女を二度見する。

『レイチェル!』

女性は雨合羽のフードを脱ぎ、低い声で祝福の挨拶をする。

『おめでとう。これであなたも未来の博士ね、マーティン』

マーティン・フラン・レイノルズは目を大きく見開いたまま、元妻の突然の訪問に驚きを隠せない。レイチェルは部屋の奥から漂う珈琲の香りに、懐かしげに笑う。

『相変わらず一日中飲んでるの?太るわよ。いつも砂糖入れ過ぎなんだから』

『あ、…ああ。それよりも。中に入って。今、タオルを』

『いいのよ、お気遣いなく』

動揺するマーティンとは正反対に、レイチェルはむしろのうのうとした雰囲気で答える。そして手に持っていた小箱をマーティンに見せる。

『これをね、届けに来ただけなの』

『?』

レイチェルは濡れたままの手で小箱を開く。中には翡翠の指輪が入っている。マーティンは再び驚いた様子で、レイチェルと翡翠に交互に目をやる。

『改めて、おめでとう。あなた博士よ、博士。仕事はこれからだろうけど。だからこれね、ふたつめの新しいもの。レイノルズ博士って刻印してあるから。古いのは、もう外してね』

マーティンは思わずレイチェルを引き寄せ、きつく抱きしめる。マーティンの胸に鼻がゴツンとぶつかり、レイチェルはその痛みで逆に笑いがこみ上げる。

『ありがとう。ありがとう。ありがとう』

マーティンは泣きながら何度もレイチェルに感謝する。

『あの子も元気よ。またダナゴーにでも連れて行ってあげて』

レイチェルのそのひと言に、マーティンはさらに激しく泣きじゃくる。レイチェルはそっとマーティンから離れると、彼の両手を握り、涙まじりの目で穏やかに微笑む。

『でもね。あの子に揚げ芋食べさせないでね。あなたと出かけて帰ってきた日は、お夕飯食べられないの。お芋でお腹がいっぱいで』

マーティンは思わず吹き出す。

『じゃあね』

レイチェルは雨合羽のフードをかぶり、今一度マーティンに向き直る。

『あなたも揚げ芋食べ過ぎないでね。あなたは私が選んだとびっきりの美男子なんだから、お芋に負けて太っちゃ嫌よ。それじゃ、またいつかね』

そう言い残すと、レイチェルは小さく手を振り、途中何度か振り返りながら、廊下を渡り階下へと消えていく。