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『えっ。あれ。なんで?紙入れがない!』

マリオン・レンは慌てふためいてジャケットのあちこちに手を触れるが、紙入れとおぼしき物はどこにもない。ズボンのポケットを裏返してみても、見つからない。カバンのなかを掻き分けてみても、飴の包み紙こそ出てくるが、他にあるのは家の鍵と筆入れ、ノート1冊と眼鏡だけだ。

『やばいな。どこかで落としたのかな。ねえハンナさん、悪いけど子どもたち引率して、先に2階の展示室へ行っててくれるかな?僕、ちょっとこのあたり探してみる』

副引率係のハンナはさして動じることもなく、マリオンの頼みに応じる。

『いいよ。アンモナイトのエリアでしょ。それじゃ先に行ってるね』

ハンナは20名ほどの子どもたちを集めると、スキャルケイル市立恐竜博物館の2階へと連れて行く。大理石の柱が何本も立つ1階のフロアに、子どもたちの賑やかな声が響き渡る。

『トイレ行きたい人は2階へ行ってから、私と一緒に行きましょう!そのあいだ、他の子たちは展示室から離れないように。マリオンお兄さんはどうやら落とし物をしたようなので、あとから来まーす』

『ドジだねーお兄さーん』

子どもたちはケラケラキャッキャと笑いながら、一斉に階段を駆け上がっていく。その様子を尻目に、マリオンは眼鏡をかけて辺りをよく見回そうとする。手のひらが、右も左も脂汗で湿っている。気持ちを落ち着かせようとして、ズボンで何度もこするようにして汗を拭う。落とした可能性のある場所を思い浮かべてみたけれど、もしここに来るまでの道すがらだったとしたら、もう絶望的…。

しばらくのあいだ肩をガックリさせてうなだれていたけれど、とりあえずは博物館入り口の受付へ行ってみようと思い、顔を上げて歩き出そうとする。すると数メートル先に、ひとりの白い服を着た男性がこちらを見て立っている。

マリオンは目を疑う。博物館内のすべての人々の声が背景に消え、彼らの動きも止まり、自分とその男性だけが背景を飛び出してつながっているような、不思議な感覚に包まれる。そして大声を張り上げて、白い服の男性に声をかける。

『レイノルズ教授っ!!』

声をかけられた男性は、ロングコートのポケットに両手を突っ込みながら、笑顔でマリオンに近づいていく。真っ白かと思った服は、近づくにつれてクリーム色だとわかる。どうしてこうもボクはド近眼なのだろうと、ふとマリオンは現実に引き戻される。

マーティン・フラン・レイノルズ博士は片手に何かをぶらぶらさせて言う。

『博士と呼びなさい博士と』

そうしてその片手に持った物をマリオンに見せる。

『これかい、君がさっきから絶望の眼差しで探しているのは』 

『あっ!!』

マリオンは顔を真っ赤にさせて叫ぶ。レイノルズ博士はやれやれと笑って、紙入れをマリオンに手渡す。

『ありがとうございます!助かりました!』

『中身は見ていないから、安心しなさい。どうせ紙幣じゃなくていかがわしい裸婦像か何かをしのばせてるんだろうけど』

『そんなの持ってませんよ』

マリオンは頬を膨らませて言い返す。レイノルズはそれを見ると口を大きく開いて笑い、マリオンにさらに歩み寄る。鼻と鼻とが突き合うほどの距離にまで近づくと、マリオンの頭をそっと抱えるようにして、自分の額をマリオンの額にくっつけ、小さな声で言う。

『たまには夜の星でも眺めるといい。それから、家族を大切に。特に君のお母さんをね』

レイノルズが静かに離れたとき、その髪の毛のにおいに、マリオンは何かを感じる。感じるのだけど、それが何なのかはわからない。けれども、何かを覚えているような、思い出しかかっているような気がする。レイノルズ博士は笑顔で立ち去る。

『博士!』

マリオンはレイノルズの背中に向かって叫ぶ。

『僕、しばらくここでボランティアするんです。図書館司書の仕事が決まったんですけど、仕事始まるまでまだ数か月あるから。だから遊びに来てください。喫茶店もあるし、いつでも!』

レイノルズは振り返ることなく、ただ片手を上げて返事をする。