眼差しに見る官能性

どうなのだろう。

わからない。

世間一般で言うところのエロスというのは、単に人と人との肉体的性的結合しか目指していないのだろうか。

官能性というのは、単に受け手に性的欲求や興奮をもたらすという意味でしかないのだろうか。

私にとっての官能性というのは、眼差しに見えるもの、眼差しから受け取れるものだ。

特に、一般的に言う社会体制であれその人個人のかつての思想であれ、旧態依然となったすべての体制に挑みかからんとする、猛禽類のような眼差し。

そのあざ笑うかのような、一歩間違えれば全世界を敵に回して『我こそは』とナルシシズムに転落してしまうような、意志の強さと脆さ儚さがギリギリ共存しているような、スリル。

こういう眼差しに私はいつも吸い寄せられて恍惚とするし、その持ち主に憧れる。

それから私は、言語というものそれ自体が官能的だと思っている。無味乾燥なお役所言葉を除いて。

だから例えば『私にとって』官能小説というのは、性的描写を詰め込んだからハイそれで良し、これは官能小説として成り立ちますよ、というものでは絶対にあり得ないだろうと思う。

むしろ、性的描写を一切加えず、全く日常生活に集中した描写のみでも読み手を恍惚とさせられる、そんな言語の使い方によって書かれた作品こそが真の意味での官能小説であり、内容それ自体はどんなことだっていい。だから、読み物・書き物をもはや官能小説というジャンルで括ること自体が酷く退屈に思えてならない。そうしたジャンル分けって、何とかならないものだろうかと思う。ただただ、くだらなすぎるのだ。