『私』と『信じること』

信じるということそれ自体、他でもない『私』自身が自身の生活や存在すべてを賭けて為す行為だと思う。

だから、もし何かを信じたところで結局最後の最後に何も得られなかったり何も実らなかったとしても、その『私』の情熱を茶化したり無駄だったと嘲笑する権利が、いったい誰にあろう。

加えて、他人に証明してもらったからそれを信じる、というのであれば、それは甘えなのではないかと思う。