感謝するなら一度だけ

20代後半頃からか。

SNSの普及に伴って、求めてもいない情報が過剰に自分のもとに届くようになった。

そのなかでも、(振り返ってみると)自分に最も重たくのしかかったのが、自己啓発・メンタルアドバイス・開運の法則的なもの。

とりわけ、『感謝』にまつわること。 

胡散臭くて、私には耐えられない。

『夜眠る前に今日1日を振り返り、感謝したいこと・すべきことをノートに書き出してみましょう』。

~してみましょうって、敢えて無理に英語で言ったら、Tryってことだよね。実際の英語表現としては、ズバリ直球でWrite down~と来るけれど。

感謝って、Tryしなければ、1日の記憶をほじくり返してみなければ、見つからないものなのですか?

それとも、そんなに無理矢理にほじくり返してでも必死に見つける価値のあるもの?

試行錯誤して、無理矢理やって、それで引き出す感謝って、引き出した時点ですでに別のものになってしまってるんじゃない?

【ああ、そーいやああいうのも感謝しとくべき事柄なのかなあ。それならまあ、一応感謝しとくかあ】

これって、感謝と言えるのかしら?

 

もしかすると、私の感謝と周囲の感謝とでは、質が異なるのかもしれない。

 

私にとっての感謝、それは、背中の下方から上方に向かって、熱を伴ってゾワワワワッと広がるもの。心だけでなく、私の体の温度をも一気に上げてくれるもの。

そして、ふさぎ込んだときと全く同じように、(感激のあまり)食欲まで奪ってしまうような、もっと言うと身を切るような衝撃を走らせるもの。

 

不思議なのです。

感謝って、嬉しい感情のはずなのに、私にとっては涙が溢れて、全身が痛みしびれるほどのものなのです。感情があまりに拡大してしまって、解放されすぎてしまって、その反動で【痛み】があちこちに散る感覚に陥るのかもしれないな…。

 

…だから私は、感謝の言葉を述べるなら、一度だけにしたい。

 

何度も何度も、あるいはあの人この人、あのことこのことにせわしなくペコペコ首を振って感謝なんかしたくないし、嘘はつきたくない。

 

私はただ一度きり

『ありがとう』

と言って、静かにその場を立ち去れる人になりたい。

 

そのたったひとことに自分の情熱を静かに込めて、なんとか上手に落とし込んで、その『ありがとう』そのものが私という実存になれるように。