哲学と座礁と自然と

相も変わらずコロナ、コロナの毎日だけど、自然の多い場所へ行きたい。

 

ふと思う。

人が人らしく生きていくためには、ときには哲学に依存しなければならないかもしれないし、またときには哲学そのものをかなぐり捨てなくちゃならないかもしれない。

 

言語・思想・理性が座礁すること、つまり、

 

【私が挫折すること】

 

これを受け入れて、自然に戻り、自然をありのままに素直に観察する。

 

これが人間としては最も素直で純粋無垢な在り方なんじゃないかなーと思う。

 

でも、なにもそれは完全に挫折し尽くして絶望して涙に濡れてぶっ倒れることではなくて、

 

【日々、一旦少し乗り上げてみること、それを自分に許すこと】

 

それくらいの軽い気持ちでいいんだと思う。

 

なぜなら、人生最大の座礁は、人生の最後にやって来るから。

 

そのときにはもう、【私】のすべてが、陸に乗り上げ、横転し、ボロボロに朽ち果て解体されて消えていくだろうから。

 

だから焦る必要はない。

 

小さな座礁、挫折を繰り返したら、戻るべき場所へ戻って、呼吸をし直せばいいだけだ。私はそう信じていたい。