tête-à-tête 1

時は1900年6月4日。ここホワイト・ヘイヴンも時代の流れを反映して、街には新旧様々の交通機関が混在していた。市民の反応も人それぞれで、開通後間もない、郊外へと伸びる鉄道路線に夢中になる人、旧来の辻馬車・荷馬車に愛着を寄せ続ける人、あるいは、鉄道に比べれば速度の遅い市内路線電車に居心地の良さを感じる人……といったように、めいめいが思い思いの形で移動をして暮らしている。

 

6月にしては珍しく乾いた風の吹くこの日、ひとりの男性が自転車に乗って軽やかにエスター通りを走っていく。白のシャツにダークレッドのネクタイを締め、折り目のきちんと入った薄グレーのズボンとベージュのコートで決めている……のであるが、なぜか頭にはしわだらけのモスグリーンの麻の帽子が乗っている。

 

男性はとある書店の前に来ると、勢いよく自転車を乗り捨て、木枠とガラスでできた古めかしい赤銅色のドアを開ける。店の軒先には白抜き文字で『ストラストヴィーチェ書店』の看板が出ている。

 

『ああ?こっりゃあまた珍客だ。それにしてもよくここがわかったな。おい父さん、ちょっと、ちょっとこっち来て見てみな!』 

店主のストラストヴィーチェ・ジュニアは店に入ってきた男性を見るなり、奥の部屋でくつろいでいた父親のストラストヴィーチェ・シニアを大声で呼びつける。ストラストヴィーチェ・シニアはぱふぱふ煙管の煙を遊ばせながら、曲がった腰でよたよたと店に姿を現す。

『おんやまあ。これはこれは。母さん、せがれが久しぶりに帰ってきただよぅー』

『まーたすっとぼけたこと言い始めやがって。せがれは俺、ここにいるだろ、父さん』

 

『お久しぶりです、おふたりともお元気そうで何よりです』

男性はしわくちゃの帽子を脱いで笑顔で挨拶をし、少し内巻きになったセミロングの髪の毛を掻き上げる。ストラストヴィーチェ・ジュニアはでっぷりとした尻を木椅子に乗せ、テーブル上の古書の山々の向こう側から顔だけを出して、青年と会話をする。

『あれお前、髪の毛、切ったか?何をそんなに若々しく決めてるんだよ』

青年の顔は笑顔で眩しく輝く。 

『うん。昨日、床屋へ行ってきました。1週間後に宣誓式が控えてるもので。むさくるしいといけないかなと』

『と言うかお前、さてはこっちに来て若返ったな?俺は何ひとつ変わらずデブのまんまだってのに』

『おかげさまで心は22歳だね』

『母さん、せがれが若くなってーーー』

『だからせがれは俺だってば、父さん』

青年はストラストヴィーチェ親子のやり取りを見て、カラカラ笑う。そして本題に入りますとでも言うかのように咳払いをし、コートの内ポケットから紙切れを出して、ストラストヴィーチェ・ジュニアに訊ねる。

『今日、来たのはね。ちょっと探してる書籍が数冊あるもので』

『ほう。言うてみ』

ストラストヴィーチェ・ジュニアは黒縁メガネをかけてメモを取る姿勢に入る。

こういうときだけ、ジュニアの動きは速い。

『まずね。アヴェ、いやアヴァリエっていう発音だったかな、ある単語について調べたい。いい語源学辞典、ないかな』

『ほう。他には』

ストラストヴィーチェは内容をサラサラと紙に書き込む。

『うん。次は、ビレホウル王国の王政史について詳しく知りたいので、その手の本』

『なるほど。他には』

『最後にね。これはタイトルわかってるんだけど。ジョルジュ・シュタウエンブルゴーの【都市の愛人】。以上』

『ほう。わかった』

ストラストヴィーチェ・ジュニアはゴンと音を立てて机をペンで叩くなり、立ち上がってドアのいちばん近くにある陳列棚へ向かう。そして棚に収められた書籍のなかから2冊、分厚い辞典それから辞典に比べるとやや薄めの歴史書を、取り出して青年に見せる。

『この辞典を持ってりゃ、大抵の単語についてはわかる。それとお前は歴史には疎いだろうから、まずは手始めとしてこれでも持っていけ』

『ありがとう。で、シュタウエンブル…』

『シュタウエンはお前にはまだ早い』

『そうかな、そんなことは』

『お前さっき自分で言ったじゃないか、心は22歳だって。お前にはこれがおあつらえ向きだ、ほれ』

ストラストヴィーチェ・ジュニアは机の上に置いてあった生姜飴の袋を青年に投げる。青年は反射良く両手でキャッチする。

『まあ、今回はいいか。ありがとう。それで、2冊で幾ら?』

『いい。今日は特別サービスだ。宣誓式が済むまでは、国賓扱いだからな。持ってけ泥棒』

『客扱いなのか犯罪人扱いなのか、どっちなんだろね』

『え?もうひとり客が来たかえーーー』

『誰も来てないってば父さん』

青年はストラストヴィーチェ・シニアを見て微笑む。

『とりあえず、ありがとう。飴も、いただいていくよ。それじゃまた、式が済んで落ち着いた頃に』

『おう。またな、妖魔』

青年はドアを開け、受け取った2冊の古書を自転車の前かごに入れる。生姜飴の袋から飴をひとかけつまみ、口に放り込むと、彼はある女性の言葉と軽やかな笑い声を思い出した。

『あなたってあのお店でも妖魔って呼ばれてるのねーーー』

青年は青空を見上げてにんまりと笑うと、自転車に飛び乗って来た道を勢いよく戻って行く。