『はいお口開けてー』
『はい。えー……』
『うん。風邪の一歩手前ね』
ホワイト・ヘイヴン市内の診療所。マーティン・レイノルズは喉元をさすりながら、開けた口を閉じる。70代近い女医はのんびりとした様子でカルテに『感冒』と書き込む。そして薬品棚にある薬草を何種類か見て回り、小さな茶色のガラス瓶を消毒した。
『とりあえず薬草を処方しときましょうかね』
『お願いできますか』
マーティンは唾を飲み込むのも辛いのか、頻繁に顔をしかめる。女医は3種類ほどの薬草を取り混ぜ、木のまな板の上で刻み、ガラス瓶に収めた。
『これを熱湯で煮出して、朝晩2回、飲んでね。はい、診察はこれでおしまい』
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診療所の帰り道、マーティンはストラストヴィーチェ書店のあるエスター通りを歩いている。赤や緑の色鮮やかな金平糖を口に放り込みながらひとりでとぼとぼと歩いていると、案の定、店の前で掃き掃除をするストラストヴィーチェ・ジュニアに出会う。
『こんにちは親父さん』
顔を上げたストラストヴィーチェは驚いたような様子でまじまじとマーティンの顔を見る。
『なーんだようお前。この前は俺があんなに声かけても返事ひとつしないで逃げちまいやがって』
『?この前?』
マーティンは金平糖の入った紙袋をストラストヴィーチェに差し出す。ストラストヴィーチェ親父は金平糖を4つ5つ鷲づかみにして、一気に頬張る。
『おまえごごあるいでだじゃないかよ』
『歩いてたって、それ、いつのこと?』
『せんしゅうの月曜日だよげづようび、』
ストラストヴィーチェは豪快に金平糖を噛み砕き、ゴクンと飲み込む。
『あの走り方、まさにいかにも逃げてえって感じだったぜ。お前が走るとこなんて、今まで一度も目にしたこたあないけどよ』
マーティンは先週月曜日の記憶をたぐり寄せるも、どう考えても月曜日はエスター通りを歩いていない。
『ただの人違いですよ、それ。僕は先週月曜日だったらずっと家に』
『うーん、まあ確かに、お前よりは痩せてて小柄だったかもなあ……どうだろう……いや、ついな、髪型も後ろ姿も似てたもんで』
マーティンは不審に思ってたずねる。
『あの、……もしかしたらその人と一緒に、ちょっと女の子っぽい感じの細身の男の人、いなかった?』
『いやあ?俺が声かけたときは、ひとりだったぜ。何がそんなにイヤなのか、マジでそそくさ逃げて行きやがったぜ、そいつ。ああそうそう、それよりもお前、【都市の愛人】、読みたいか?』
ストラストヴィーチェは金平糖の袋から、また2つ3つと菓子をつまむ。マーティンはしばらくのあいだ考えると、突如ハッとした表情で金平糖の袋をストラストヴィーチェの胸に押しつけ、急いでその場を立ち去る。
『おい妖魔!何だよ、どうしたんだよ』
マーティンは振り向いて謝る。
『ごめんね親父さん。いや、ありがとう。急に用事ができた。本はまた別の機会でいいです、それじゃ、ありがとうございます!』