tête-à-tête 52

ビレホウル王国の首都スキャルケイル。1872年、春。孤児院にあるシリルの部屋。リディアは数か月前からちょくちょくここへ来ては、シリルの勉強を見るようになっていた。ふたりは古い小さな木製のテーブルを挟んで座っている。リディアは眼鏡をかけ、シリルが解答した国語の問題を黙って添削している。シリルはイライラした様子で、親指の爪を噛みながら、リディアのほうを繰り返しちらちらと見ている。

『何?』

部屋に入ったときからシリルの苛立ちを感じ取っていたリディアは、解答用紙に視線を落としたままたずねる。シリルは軽くリディアを睨みつけて言った。

『君はさ、おかしいよ』

リディアはシリルと目を合わせることなく淡々と添削を続ける。

『おかしいって、何が?』

シリルはわざとらしく大きな溜め息をついて言った。

『あのさ。自分のやってること、わかってる?俺とつき合ってるのに、バーへ行けば他の男に色目使うような態度だし、ときどきムダに厚化粧してるし、派手な服装もしたがるし、そうかと思えば俺にも指1本触れさせないときがあって一緒に歩くのすら嫌がる。そのくせこうやって俺の部屋に来ては勉強教えたがったり、俺と布団に入りたがったり、挙げ句の果てには男装して【マーカス】なんて奴のフリしてここで飯食ってゲラゲラ笑ってたりさ』

『私が部屋に来たら嬉しくないの?』

『嬉しいよ。そりゃ嬉しい。だけど君のやってることは、一貫してない。いっつもあっちこっちでフラフラ、ヘラヘラしてるじゃんよ。だから聞くけど、……君っていったい何なんだってことだよ。俺と何がしたいんだ?俺にどう思ってほしいんだ?それにマーカスって、あれは何。何をお芝居してるんだ君は?劇団員でも目指してるのか?』

『随分とマーカスが気になるみたいだね』

『キツいこと言わせてもらうけどさ。君は普通じゃないよ。俺とか僕とか突然言い出して、酒飲んで煙草やって夜道で大声で歌い出したりしてさ。俺から見ても普通じゃない』

リディアは眼鏡を外すと静かにペンを置いた。

『なあ、』

シリルは脚を組み、身を乗り出すようにしてテーブルの上で肘をつき、ぐっとリディアの目を覗き込んでたずねた。

『なんか嫌なことでもあるのか?学校でいじめにあってるとか、親がムカつくとか、それか実はあのバーでも何かトラブルに巻き込まれてるとか、あるいはただ単に俺をバカ扱いしたいだけなのか』

『あなただってこういう場所にいるじゃない』

『こういう場所ってどういう意味だよ』

『こういう場所で生活するには、それなりの理由があるってこと。あなただってそうなんでしょ』

『そうなんでしょって』

シリルはますますピリピリしてきた。けれど自分が詰問したことでリディアも同じように神経質になっているのを、思いやることができなかった。リディアは乾いた笑いで静かに言った。

『欲求不満なんでしょ。これだから男は。そんなに私のことをムカつくとかコイツ異常だって思うんなら、外へ行って別の女の子つかまえて、やりたいだけやってればいいじゃない』

『下品なこと言うなよ』

『私だって好きでこんなことやってないよ、』

リディアは声の調子を一段上げて吐き捨てた。

『誰も好きでこんなことやってない』

『誰も好きで俺みたいな男と関わってるわけじゃないってことかよ』

『違う、違う』

リディアは叫び声を上げた。

『あなたにだって、言いたくないこと、知られたくないこと、あるでしょう?だから、私のこと聞いて、知って、それで何になるっていうの。何が変わるっていうの、あなたはそれで私を変えられるとでも思ってるの』

リディアの口調と態度がどんどんヒステリックになっていく様子を、シリルはあ然とした表情で見つめた。リディアはテーブルの上のメモ用紙やペンを鷲づかみにすると、力いっぱい宙に投げ打った。リディアが暴れ出しそうになったので、シリルはとっさに席を立ってリディアの両肩を掴んだ。

『おい!何だよ、どうしたんだよ』

リディアはシリルの右腕に噛みついた。シリルは思わず身を引いた。

『何だよ、何なんだよ』

『知らないくせに、何も知らないくせに』

リディアは自分から離れて壁際へ行こうとするシリルにしがみついた。

『私言ったよね?私みたいなのと関わると苦労するよって』

『だから何なんだよ、知らないくせにって、それなら黙ってないで言ってくれればいいじゃないかよ』

リディアはその細い体からは想像もつかないほどの力でシリルの襟元を掴んで言った。

『きっとあなたも私も同じなのよ、同じにおいがしたのよ、だからなのよ』

『言ってる意味がわからない!』

シリルは力ずくでリディアの手を振り払うと、彼女の前で両手を挙げて後じさりする。リディアは苦しそうに顔を歪め、大粒の涙を流して泣き出した。

『じゃあ、いいね?教えるよ?私はね、私は、私のお父さんはね、』

シリルのベッドを指差すと、リディアはしゃくり上げながらひとつひとつの単語を歯で嚙み切るように叫んだ。

『私がしたくないことを、嫌なことを、私にした、させた。私がまだ、9歳の頃。9歳。こういう、ベッドで。意味、わかるよね?床でもやった。やらされた。冷たい床。だから、私の背中、擦り傷がたくさんある。それで、私は、こんなになった。こんなになっちゃった。私は、私じゃない、私は消えて、私はマーカスになって、居場所がない、だから逃げたい、逃げたい』

シリルは目を見開いたまま、全身の力が一気に抜けていくのを感じた。リディアは床にへたり込むと、幼い子どものように激しく泣き出した。

『助けて、助けて、みんな、誰か助けて、私ここにいる、ここにいるんだってば!』

シリルは駆け寄ってリディアを抱き寄せる。リディアは再びシリルにしがみつき、狂ったように嗚咽を繰り返すと、シリルの全身に覆いかぶさり彼の胸を潰すようにして、彼を床に押し倒した。シリルの頬を涙が伝った。泣き止まないリディアの背中をさすり、まるで幼い子どもをあやすようにポンポンと叩いてやることしかできなかった。