『いや、いいよ、僕、夕方前には子どもたちを送っていかなきゃいけないから』
ホワイト・ヘイヴン市内、マーティンの自宅近くの空き地。シリルが差し出したウイスキーをマーティンは丁重に断る。シリルはつまらなそうな顔で瓶の蓋を開け、代わりに自分でらっぱ飲みをする。
以前レストランで見かけたときも、先日酒場『ブラック・マスト』で出会ったときも、マーティンはシリルの外見を真正面から捉えていなかった。ブラック・マストなんて問題外だ、マーティンは心のなかでひとりごちた。暗闇のなかで、しかも騒音と煙草の煙とアルコールのにおいとで偏頭痛発作を起こした人間が、心穏やかに人間観察なんかしていられるわけがない。いいんだ、あのときは僕なりにベストを尽くしたんだから、許して進ぜよう。そう自分に言い聞かせながらマーティンはシリルを観察した。
従兄弟とは言うものの所詮は従兄弟で、外見は随分違うものだと、マーティンは思った。シリルの顔は血色が悪く、青い目だけが鋭く際立っている。体全体も痩せていて、背丈はマーティンよりもいくぶん低く、恐らく175、6センチくらい。ウイスキーの瓶を持つ手も痩せてカサカサしていて、いくつかの指の第2関節にはかさぶたのようなものが盛り上がっていた。マーティン自身のふっくらとした手指と頬とはまるで大違いで、何だかワシやタカのような飢えた猛禽類の印象を受けた。
『どうした、俺の顔になんか着いてるか?』
シリルは手の甲で口を拭うと、怪訝な目つきでマーティンに聞く。マーティンは即座に首を横に振って謝った。
『いや。こうしてきちんと顔を見るのは初めてだなと思って。ゴメン、ついジロジロと』
『従兄弟と言えども自分にはこれっぽっちも似てねえな、ってか?』
マーティンは驚いた。自分の意見を言い当てられたことよりも、ふたりが従兄弟であるとシリル自身が知っていたことに驚いた。それでマーティンは『ブラック・マスト』のバーテンダーのことを思い出した。
『もしかして、ブラック・マストのバーテンダーの人に言われた?マーティンっていう従兄弟が来たぞって』
『ああ』
『言わなくてもいいって言ったのに!』
シリルは笑った。
『バーテンだからな。わからなくもない。店では聞き役に徹するんだろうが、その反動で普段はぺちゃくちゃやりたがるのかもしれん。もともとノリの軽い奴だしな、あいつは。しかもあいつ、お前に俺たちの家の住所まで教えたんだろ?』
『うん』
マーティンは少しばかりバーテンダーにがっかりした様子で答えた。シリルはマーティンを、同い年の従兄弟というよりは弟のように感じた。
『それでお前、俺たちの家を見に来たことあるか?』
マーティンは正直にうなずいた。
『すぐに帰ったけどね。それ以上、偵察みたいなことしたくなかったし。あの、それよりも、恋人の女性は元気にしてる?』
シリルはわざとギロリとマーティンを睨みつけた。
『何だよ。俺の女が気になるのかよ』
『そういうんじゃないよ。酒場でちらっと見かけただけだし』
『リディア、あいつ、お前のことで言ってたぜ、もし美男子だったらアタシその人のこと好きになっちゃうかも!って』
『リディアさんって言うんだ』
『お前ら全員、揃いも揃ってアホ同士だからな、もう赦すわ。好きにやってろ』
シリルは2本目の煙草に火を着けた。ふたりから5、6メートル離れたところで凧揚げをしていたふたりの男の子が、大声でマーティンに言った。
『おじさん、少しはこっちも見てよ!ほら、こんなに高いとこまで上がったんだから!』
マーティンはふたりに同じように大声で呼び掛けた。
『お兄さんはおじさんじゃないから、そっちへは行かない!』
ふたりの男の子はこぞってはやし立てた。
『だっておじさんはおじさんじゃーん』
『しょうがないなあ、もう』
マーティンは呆れ顔で笑った。シリルは煙草の煙を強く吸い込むと、マーティンに言った。
『俺はもう帰るから、ガキと遊んでやれ。だいたい、俺みたいなのがそばにいたら、教育上よろしくない』
シリルはこの日初めて、自分の首に巻いた赤いスカーフとブローチとを指差した。マーティンは好奇心とわずかな恐怖心からたずねた。
『もしかしてあの、拳銃とか』
シリルは首を横に振って両手を挙げ、着ていたミリタリーコートの内側を見せた。
『ホルスターも着けてない。ここしばらく、そういう用事は一切ないし、加担もしてない』
マーティンは内心ホッと胸をなで下ろした。シリルはマーティンの顔に現れたわずかな安堵の表情を見て取ると、冗談混じりで別れの挨拶をした。
『まあ、万が一お前とリディアがくっついた日には、遠慮なくお前のアタマを一発で撃ち抜いてやるけどな。それまでは当分のあいだ、弾は込めないでおくわ。それじゃ、また酒場ででも会おう』