リディアとシリルの家。台所兼食堂。ハンナは席に着くと、目の前に出された『2つ目小僧』の目玉焼きを勢いよくフォークで突き刺し、皿の上でキーキー音を立てて白身を切り分けようとする。ナイフをうまく使えないハンナをシリルが横で助ける。
『お前、それじゃ白身がテーブルにぶっ飛ぶぞ』
『目玉焼きだから目玉をつぶすの、えい』
ハンナはフォークの先端で半熟の黄身をいち、に、と潰していく。皿の上でぐちゃぐちゃになった目玉焼きにシリルは苦笑する。
『せーっかく俺が焼いたってのに。まあ、いい。うまいか?』
『うん!』
『パンもあるぞ、バゲット。この前、市場でリディアが買ってきてくれたやつ』
シリルがバゲットをちぎって食べようとすると、ハンナはすかさず横から奪う。
『おい!』
シリルは笑った。ハンナもバゲットを口に詰め込むと、リスのように膨れた頬でシリルに微笑みかけた。シリルはハンナのかわいさのあまり、彼女の頭を撫でて巻き髪をくしゃくしゃにする。ハンナはそのまま笑顔で目玉焼きにかぶりついた。
『なあハンナ、』
シリルはコーヒーの入ったカップに手を伸ばして言った。
『お前、俺と記念写真撮りたいか?』
『しゃしん?』
『ああ。最近、そういうのができたんだよ。油絵とか、水彩絵の具の絵みたいに、お前の姿をちゃんと残してくれるらしいぞ』
ハンナは少し考えて言った。
『いいよ』
『オッケーか?』
ハンナは皿に溶け出した黄身をパンくずですくって食べると、再び少し考えている様子で言った。
『いいけど、もうひとりのお兄ちゃんと3人じゃないとダメだよ』
『は?』
シリルは『もうひとりのお兄ちゃん』がいったいどこから出てきたのか見当がつかず、すっとんきょうな声をあげた。ハンナはバゲットを掴んで大きな塊を引きちぎると、ガツガツと元気いっぱいに頬張る。
『ちょ、お前それ食い過ぎな。て言うか、誰、そのお兄ちゃんって。夢でも見たか?』
シリルはパンくずが目一杯ついたハンナの口もとを、ナプキンで拭いた。ハンナはカップに入った温かい牛乳を一気に飲み干すと、プハーッと息を吐いて笑顔で答えた。
『お兄ちゃんにはおともだちがいるんでしょ。ハンナ、いつでも、なーんでも知ってるんだから。お兄ちゃんはそのお兄ちゃんと、なかよくしなきゃだめなの!だからハンナは、ほんとはしょしんっていうのはいらないの、お兄ちゃんとお兄ちゃんがふたりでやればいいの』
『しゃしんな、写真。いやそれじゃ記念写真の意味がないんだけど』
『なかよくしないとダメなの!』
ハンナはフォークを握り締めて、シリルをキッと睨みつけた。ときどきハンナは怖い顔をする。けれども乾いた卵の黄身が口もとにへばりついていて、なんとも間抜けだった。シリルは降参したとでも言うように、大袈裟に両手を挙げた。
『わかったよ、その兄ちゃんとは仲良くするから。でも、写真は俺とお前だけで撮りたいんだよ。それでいいよな?』
ハンナはしばらくのあいだ唸っていたが、口を尖らせつつもようやくこくりとうなずいた。そしてシリルに言った。
『でもね。ほんとはハンナじゃよくないの。ハンナじゃなくて、リディアお姉ちゃんに聞いて!ハンナはしょしんじゃなくて、目玉焼きとバナナが食べたいんだから!』