tête-à-tête 62

1872年、シリルの住むスキャルケイル市内のヤンセン孤児院。午後2時。いつもどおりシリルとリディアは、小さな木の机を挟んで向かい合って椅子に腰掛け、勉強をしている。部屋の唯一の出窓からは初春の光が差し込み、穏やかな小鳥のさえずりが聞こえてくる。そして部屋の外壁のそばに植えられた1本の木が、南風にかしいでいた。シリルは万年筆を置いてリディアに言う。

『腹減ってないか?おやつ、用意してあるんだけど。どうせいつものリンゴとかビスケットとか、パンにチョコレート程度なんだけどさ』

リディアは遠慮がちに首を横に振った。

『私、人前で食べるのが苦手なものだから。ごめんなさい』

『謝る必要ないよ。不思議だよな、マーカスはあんなに食うのに。すごいぜあいつ、あの食いっぷりは俺を凌駕してる。コーヒーか紅茶なら飲めるか?』

『紅茶、もらえる?』

『了解』

シリルは部屋の奥にしつらえられた、お湯を沸かせるだけのごくごく小さな簡易キッチンへ向かった。やかんに水を入れ、火にかけると、元気なくうつむくリディアの横顔を見た。リディアはシリルの視線に気づき、ためらいがちに微笑むと、シリルのほうを見て言った。

『あのねシリル』

『うん?』

『今まで話そうと思ってたけど、話せてなかったことがあって』

『何』

『私、土日にこうして外出して、ここに来てるでしょ』

『うん』

『で、今はちゃんと外出許可をもらってから来てるのだけど』

『うん』

『以前、……そう、あなたに初めて会った頃、あのあたりまではね、無断外出、無断外泊を繰り返してて』

『今はそうじゃないんなら、いいじゃん』

リディアは悲しげに微笑んで、言葉を続ける。

『それでね。あの。いつも門の前に立ってるでしょ、守衛の人がひとり』

シリルはすぐに、夜間リディアを送り届けるたびに落ち着きなくこちらの様子を見ている門番のことを思い出した。

『ああ。いつもいるね、気の弱そうなオッサンが。そのオッサンがどうした?』

リディアは震える手を机の下に隠して、深呼吸をして言った。

『以前の私はね、無断外出とか外泊をするために、毎回あの人に口止め料を支払ってたの』

『口止め料って、何、小遣いから出してたのか?』

『それもあるけど、』

リディアは下を向いた。

『私、そうやってあのオジサンにお金渡して、それから、ただで売ってた』

『売ってたって、何を』

リディアは自嘲気味な笑顔でシリルを見つめ、静かに自分のことを指差した。

シリルは一瞬、何のことか飲み込めなかった。そして突然、打ちのめされた。リディアはやかんが鳴り出したのを見て、シリルに言った。

『お湯、沸いてる』

シリルはハッと我に返って、火を止める。そしてかすれた声でリディアにたずねた。

『お前。今はもう、してないんだな?してないんだよな?そういうことは』

リディアははっきりと大きくうなずいた。

『以前あなたに言われたとおり、私はやっぱり、普通じゃなくて。こういうことだけじゃなくて、私、学校行ってても友達なんかひとりもいなくて』

シリルは黙って見守った。

『私は、汚いから。それであなたを大聖堂で見かけたときも、敷地内には入らなかった。汚い子だもの』

 

※※※※※※※※※※※※※※※※

 

その日の夜。シリルはリディアを寮まで送り届ける。門の手前に来ると、やはりいつもと同じ門番の中年男性が、おどおどと落ち着きのない仕草で鍵を錠前に入れて開門しようとしていた。門が開くと、シリルはリディアの肩を抱き、門番を無視して中に入った。

『あの、ここは女子寮ですので』

顔を赤らめしどろもどろに注意する門番を、シリルは真正面から睨みつけて言い返した。

『その言葉、自分自身に言ったらどうだ』

『え?えっと……?』

シリルはリディアの肩をぐっとつかんで言った。

『これ以上。この子から幾らまた金を渡されても。たとえもし、この子がまたアンタに近づいていっても。何があっても。俺の女に。もう二度と汚らわしいことをするな!』

そう言い捨てると、シリルは堂々と敷地を突っ切り、寮の玄関までリディアを送っていった。薄暗い小さな灯りひとつしかない玄関先に立つと、シリルはリディアに向かって言った。

『あと1年もすれば、卒業だろ』

『うん』

リディアは体を縮こませ、うつむき加減で答える。シリルは彼女の髪に触れ、静かに、けれどもはっきりとした口調でリディアに伝えた。

『卒業したら。俺と暮らそう。結婚とか、そんなものは、何も考えなくていい。ずっとそばにいてくれ。ずっと。愛してる』