tête-à-tête 82

1885年、ビレホウル王国、首都スキャルケイル。シリルとリディアの住むアパートメント。シリルの父親が入院している精神病院に勤務する女性看護師が、シリルからの連絡を受けて駆けつける。シリルは玄関の呼び鈴が鳴るなり、急いでドアを開けた。

『どんな容態?』

看護師は馬車から降りると、呼吸の乱れたシリルとは対照的に、沈着冷静な態度で質問をする。

『布で縛って止血してる。何とか治まるとは思う。ただ、酒をあおったのか何なのか、ぐったりしていて』

『わかりました、』

シリルはただちに看護師を部屋に通す。看護師は大きな鞄を手に、シリルに導かれるまま、2階の浴室へと進む。

『申し訳ないけど訪問医は今全員、出払ってしまっているの。誰かが戻ってくるまで待っていられない状態だろうから、私ひとりで』

『いい。いい。助けてくれればいい』

シリルはパニックに陥りかけていた。看護師は黙って浴室に足を踏み入れた。目の前の光景を見るなり、まずはシリルを落ち着かせるため、彼に一歩下がるよう促した。そして床に倒れ意識を失いかけているリディアに大声で呼びかけた。

『リディアさん起きて!』

看護師は2度、3度、リディアの頬を叩いた。

『起きて!』

シリルの言うとおり、酒を大量に体に入れたのか、リディアの息はアルコールのにおいがした。看護師は止血中の左腕の状態を確認する。すると運良く、血は止まっていた。

『ありがとうシリルさん、お手柄よ。血はもう出てない』

シリルはその言葉を聞くと力が抜け、思わず浴室のドアにもたれかかった。それから数秒後、リディアが目を開けた。

『リディアさん』

リディアは焦点の合わない目と半開きの口のまま、バスタブ下の隙間で右手をモゾモゾさせた。その動きを見た看護師がバスタブの下を覗き込むと、わずかに血のついた剃刀が1本、床に落ちていた。看護師に介抱されながら、リディアはぼんやりとした意識のなかでつぶやいた。

『怖いの……気持ち悪いの……お父さんが来る……』

シリルはドアに寄りかかったまま、目に涙を溜め、手で口元を覆った。そしてリディアのもとに駆け寄ると、看護師の横でリディアの手を握った。

『来ないでよ……来ない……』

『大丈夫だ、もう来ない。俺がいるからな、俺がちゃんと見てるから。ごめんな、ごめんな、怖い思いをさせてな』

シリルがさすると、ショックと脂汗で冷えきったリディアの手が、少しずつ温かさを取り戻してきた。それとともに視点も定まってきて、リディアの視界のなかに徐々に徐々にシリルの姿が浮かび上がってきた。リディアは涙を流して、自分の顔を不安げに覗き込んでいるシリルに手を伸ばした。

『お兄ちゃん、』

しゃくり上げるリディアの手を、シリルは強く握り返した。

『お兄ちゃん、ごめんなさい、お兄ちゃん。海でも、森でも、わたしのこと、つれてって、どこかにかくして。わたし、こわい、こわいの』