tête-à-tête 85

1885年、ビレホウル王国、首都スキャルケイル。シリルとリディアの住むアパートメント。看護師の助けを得て、シリルはリディアをベッドに寝かせる。酒をあおったおかげで脚に全く力の入らないリディアの体は、痩せているとはいえシリルひとりで引きずるには困難だった。看護師はベッドに横たわったリディアの顔色を見、それから左腕の傷の具合を再確認して言った。

『本人が自力でうまくできない状態なら、傷口はシリルさんがこまめに消毒してあげてね。それから、水分補給を忘れないように』

『わかった。ありがとう。来てもらって、すまない』

看護師は鞄のなかから消毒液を2瓶取り出し、ベッド脇の小さな丸テーブルの上に置いた。そして穏やかに、けれどもはっきりとした口調でシリルに言った。

『気にしないで。それよりも、リディアさんのそばにいてあげて。あなたもなるべくなら、ゆっくり休んでね。休めるかよって言われてしまいそうだけど、酷な話、これからも同じようなことが続くかもしれないよっていうのが実情だから……。それじゃあ、私はこれで』

 

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看護師が帰ったあと。ベッドの上で身を横たえるリディアの隣に、シリルが座っている。リディアはシリルに背を向け、体を縮こませている。

『……シリルさんシリルさん、』

まだ半分意識を失ったままのようなか細い声で、リディアはシリルに呼びかけた。シリルはリディアの髪にそっと触れ、それからその左頬を撫でた。

『……どうした』

リディアは壁を真っ直ぐ見つめている。その目は叱られたときの幼い子どものように動揺を見せたかと思えば、意志の強固な青年のように力強く壁の1点を凝視したりと、様々な表情のあいだをせわしなく行ったり来たりしていた。そしてシリルには顔を向けぬまま、左手を彼のほうに伸ばす。シリルはその手を握り締めた。

『……私の背中に手を当ててください、』

シリルは黙ってリディアの背中に手を当てて、そっとさすった。そして自分も横になって、リディアの肩に腕を回した。リディアはシリルの腕に、自分の手を添えてつぶやいた。

『……見えるかな。あれは羽化、って言うんだっけ。ちょうちょとかが、さなぎから大人になるとき』

『うん』

『シワシワの、湿ったような羽根が、少しずつ少しずつ乾いて、広がっていくでしょ』

『ああ』

シリルはリディアの頬に口づける。リディアは自分が涙目になっているのを見られたくなくて、シリルのほうには決して寝返りを打とうとはしない。シリルはもう一度口づけて、リディアの背中をぎゅっと抱き締める。リディアは明るい口調で話を続けた。

『……シリル、見える?ひょっとしたら、触れるかな。私の背中にはね、羽根が生え始めてるんだよ。それでね、羽根がキレイにうんと伸びきったらね、私はきっと、飛んで行くと思うのね』

最後のほうは声が震えていた。肩も震えていた。後ろから抱き締めていたシリルにも、その震えは伝わってきた。

『行くなよ。そんなこと言うな』

リディアは涙を流した。堪えきれずまばたきをすると、涙のしずくがひと粒、またひと粒と、シャツの袖にぽたぽた落ちていった。

『きっとね、そのときだけは、キレイに飛んで行けると思うの、絶対に』

シリルはリディアの首筋に唇を這わせ、涙ぐみながら懇願した。

『行くな。俺を置いて行くな』

『ごめんなさい、』

リディアは努めて明るい口調で答えた。

『ごめんなさいね』