tête-à-tête 86

『え。随分、酷い話じゃない?それ』

1875年、ビレホウル王国、首都スキャルケイルの南部にある丘。夏。午後8時。野原に腹這いになり、横にはランタンを置いて、マーティンとレイチェルはスキャルケイルの街並みを見渡している。あたりは明るく、軒先に灯りをともし始める店や家々はまだまだまばらだった。レイチェルの頭の近くを真っ赤なテントウムシが舞う。マーティンはその様子を目で追いながら、レイチェルに説明する。

『うん、まあね、今思えばね。台所のテーブルに、硬貨1枚置いてあるだけなんだ。僕の母親、家事全般が【うまくない】んだよ』

『それであなたお昼ご飯は、いっつもひとり?だって、小学生でしょ?』

『うん。だいたいいつも。で、そのお金持って、ほらあの屋台の揚げ芋あるでしょう、あれをよく買いに行って、ひとりで食べてた』

『だから今もよく食べてるの?お芋』

『うん』

『でも太らないよね、全然』

『楽しい思い出のある食べ物じゃないからじゃないかな』

レイチェルの周りを飛んでいたテントウムシは、今度はマーティンの目の前に着地して、草の葉のあいだをチョコチョコせわしなく歩き出した。マーティンはテントウムシを指先でチョンと突いた。時間の経過とともに、少しずつあたりが暗くなってくる。太陽の一部が雲に隠れて、ふたりの頭上に影がかかる。そのせいなのか、マーティンの顔は少し寂しそうに見えた。ランタンに手を伸ばすと、マーティンは腹這いのままマッチをすり、火を灯した。レイチェルはマーティンの言葉にうなずいて答える。

『そうね、楽しくないこととか物って、プラスにはしてくれないね。それじゃ、どう?今度私と一緒に、ご飯作ったりしない?』

『作るって、家でってこと?』

『もちろん。私の実家、台所広いし。それかあなたのアパートに上がらせてもらえるなら、私が材料持って行く』

マーティンは少し顔を赤らめたけれど、ランタンのともしびのおかげでレイチェルには気づかれなかった。

『えーっと、それって言うのは』

『遊びに行ったら迷惑?勉強で忙しいか』

マーティンは急いで首を横に振った。

『あの僕。誰かが家に遊びに来てくれるとか、ましてやその、女の人が来てくれるっていうの、今まで全然、想像も期待もしたことなくて』

『お父さんの影響?』

マーティンはやや伏し目がちにうなずいた。それを見たレイチェルは優しく微笑み、マーティンの目を覗き込んだ。

『私が気楽にしてあげる。私と一緒にお芋食べたら、きっと今度はおいしく感じられると思うな。ふたりでお芋ウワーッて揚げて、チョコレートソースでもかけて食べたら、楽しくない?あ、でも激太りはしないでね。あなた美男子なんだから』

そう言って笑うと、レイチェルは目の前に生えていたネコヤナギを1本引き抜き、マーティンの鼻と口もとをくすぐりいじくった。マーティンが一発大きなくしゃみをすると、ランタンの火がふっと消えた。レイチェルは大笑いして草むらの上を転がった。