『今日は泊まっていってよ。2階の空き部屋、物置き場になっちゃってるけど、あとで僕、荷物どかすから』
ホワイト・ヘイヴン市内のマーティンの自宅。レストランでの会食後、マーティンはシリルとマーカスを自宅に招き入れる。午後9時45分。ふたりを廊下に通すと、マーティンは外の凍てつく寒さから逃れるべく、素早くパタンと玄関ドアを閉めた。
『今、暖炉に火を着けるね。座ってて』
マーティンは台所兼食堂のテーブルを指さすと、マッチを擦り、火を着ける。シリルとマーカスは黙って椅子に腰掛けた。
『もう遅いから、カフェインものはやめておいたほうがいいね。薬草茶とか、飲んでみる?』
マーティンはコンロ横に並べられたガラス瓶のうちひとつを掴み、上下左右に振りながらふたりに見せる。ふたりは静かにうなずいた。食事中あれだけ元気だったマーカスも、微笑んではいるものの先程までとは何となく様子が違う。シリルはポケットからハンカチを取り出して鼻をかんだ。
『申し訳ない、あんな醜態をさらして』
シリルは泣き腫らした目でマーティンに謝罪する。マーティンは即座に首を横に振って答えた。
『謝る必要がどこにあるっていうの。今日は君が主役だったんだし、僕のお義父さんもブリジットさんも何とも思ってない。もちろん僕だって、何とも思ってない』
マーティンは水をなみなみ注いだやかんをコンロに乗せ、火を着けようとする。するとシリルが思い詰めた表情で口を開いた。
『俺さマーティン、』
『うん?』
マーティンは振り返ってシリルに言った。シリルはマーティンとは目を合わすことなく、右手をテーブルの上に乗せ、落ち着きなくテーブルクロスの皺を伸ばしながら言葉を続ける。
『俺、殺してばかりきたんだ、』
『殺す?どういうこと?そんな物騒な表現』
『ガキの頃はさ、孤児院近くの森へ行っては、小ウサギとか鳥とかネズミとか、殺してた』
『うん』
『それから、アヴァリエの連中と一緒になって、ある人の家に手製の爆弾を送った』
マーティンはその告白に、大きくうなずいた。
『うん。知ってるよ。僕のお義父さんの父親宛てにだよね』
シリルは驚いてマーティンを見た。
『なんで知ってる』
マーティンは穏やかな笑顔で答えた。
『僕が奥さんと別れたのはね。僕の身内にアヴァリエの人間がいるってことを、お義父さん、ニールセンさんが突き止めたからなんだ。それで僕、娘とは離婚してくれって言われたの』
シリルは身を固くしたまま、言葉もない様子でマーティンを見つめ続ける。マーティンは笑った。
『いいんだよ。誰も恨んでない。恨んでいたら、僕もニールセンさんも、今日みたいに君たちと食事なんかしてない』
シリルは一度まばたきをすると、再び涙を流し始めた。隣にいたマーカスは、黙ってシリルの手を握る。シリルはマーカスのほうを見、目で合図をすると、途切れ途切れに最後の告白をする。
『それから。それからなんだけど、』
『うん』
『俺はマーカスの、……その、リディアの父さんも、殺した』
マーティンは驚いて目を見開いたが、自分に向けられたマーカスの視線から、【ただ黙って聞いてくれ】と諭されているような気がした。マーティンはマーカスに向かってうなずくと、黙ってシリルの言葉を待った。
『俺はその、……言っていいよな?マーカス』
今度はマーカスが黙ってシリルにうなずいた。シリルはマーカスの手を握り返して、それからマーティンに打ち明けた。
『俺がこいつの父親を殺したのは、正確にはリディアの父親を殺したのは、リディアが幼い頃から家で暴力を受けていたからで』
『体罰、ってこと?』
シリルは首を横に振った。
『思い切って、こう言い換えてみようか。俺とリディアは一緒になってからもう長いけど、厳密な意味で体の関係を持ったことは、これまで一度もない』
マーティンはシリルが口にした【暴力】という言葉の意味を悟り、ショックを受けてふたりを凝視した。シリルはうなずいて言った。
『そう。察してもらえたらと思う……、元殺人犯の俺はともかく、こいつには何の落ち度もな……』
『私は助け出してもらったの、』
突然リディアが口を開いた。リディアは懇願するような目で、マーティンに説明をした。
『シリルが、シリルだけが助け出してくれたの。悪い人を、あの人を、退治してくれたの』
リディアはシリルの腕を取って言った。
『……シリルは、この人は、誰が何て言おうと私には天使なの。だからマーティンさん、たとえもしあなたが【こいつはただの犯罪者じゃないか】って、シリルのことを蔑んだとしても、私は何のショックも受けない。シリルは私の天使なの。いつかマーティンさんにも、わかってもらえたらと思う』