tête-à-tête 108

『カレンさん、今日もシニアお爺さんのこと、よろしくね』

ストラストヴィーチェ書店、会計カウンターの奥にある部屋。午前10時。マーティンはストラストヴィーチェ・ジュニアが雇った家政婦のカレンに、シニア爺さんを託す。カレンは50代半ばで、肝っ玉母さんとでも形容すればいいのか、小柄で筋肉質な体型からは見るからに【そんな感じ】を受ける。この人と口ゲンカになったら一発で叩きのめされるなと、マーティンは内心思った。カレンはエプロンの紐をキュッと締めると、自信たっぷりに答えた。

『爺さまのことなら私に任せて、あなたは心おきなく店番してなさい』

マーティンは言われたとおり、会計カウンターのデスクに戻った。普段から店は午前中はガラガラなのだけど、午後3時から閉店間際の数時間は、子どもたちが絵本を見に、親とやって来ることが大半だった。その数時間はマーティンにとっては結構な【戦場】で、毎日7、8人の子どもたち相手に本を紹介したり、一緒に遊んだり少しだけ勉強を教えたりと、わいわいがやがやとした空間で仕事をこなすのは、今でも慣れない。自分にもマリオンというひとり息子がいたけれど、一緒にいるのを許されたのはわずか週に数時間だったから、子どもの生活というものがいまだに理解できない。だからこうしてぼんやりできる午前中の時間は、緊張をほぐすためにも、このうえなくありがたい。マーティンはそう思った。

マーティンはデスクに座って、出入口ドアの上に掛けられた時計を見た。午前10時4分。あの日図書館で父親に出くわして以来、【午前10時18分】という時刻が気になって仕方がない。なるべく見ないように、気にしないようにと、マーティンはそう自分に言い聞かせるも、どうにも憂うつな気分を払いのけることができなかった。それでつい、デスクに突っ伏してしまった。

『僕の人生って、……少なくともあっちでの46年間っていうのは、えらく空っぽだったな、』

デスクの上の鉛筆をいじりながらマーティンはつぶやいた。そしてレイチェルの姿を心に描いた。

『僕はレイチェルに励ましてもらってばかりだった。すごいじゃない、とか、あなた素敵よ、とか、おめでとう、とか、いつもそうだった。けれど僕自身は、レイチェルにもマリオンにも他の人たちにも、いったい何をあげられたって言うんだろう?結局のところ僕は、ロボット親父に育てられただけの中身のない優柔不断なロボット学者に過ぎなくて、ハイあなた様は終生ご愁傷様な存在でございましたってこと?』

そんなふうに考え出したらすっかり気が滅入ってしまった。マーティンはカレンに山ほど砂糖の入ったコーヒーを持ってきてもらおうかと思ったけれど、砂糖とコーヒー以外に頼れるものがない自分自身にもホトホト嫌気が差して、ますますデスクに突っ伏したくなった。

上半身をふにゃふにゃもてあまして座っていると、店のドアが呼び鈴の音とともに開いた。顔だけ上げると、そこにはシリルとリディアが立っていた。マーティンは力ない、寝ぼけたような口調で自嘲気味にふたりを迎え入れた。

『やあ、妖魔のうたた寝する地底へようこそ、』

シリルは苦笑して言った。

『地底って、何』

『ここじゃマグマすら元気をなくして、しょんぼり萎えてます』

マーティンは尖った鉛筆の先を右手の人差し指でいじる。しつこくいじくり回していたら、いつの間にか黒い丸が指先にくっきりと出来上がっていた。マーティンは親指で人差し指の腹を引っ掻きながら、うだうだとつぶやいた。

『どうせこの前走り過ぎて筋肉痛なんだろ、』

シリルは待ってましたとばかりに冗談を飛ばした。リディアは小さく笑って下を向いている。

『今度はさ。俺の家にも走ってやって来いよ。ご存じのとおり、空き部屋なんだけど。

お前のために、カウンセリングルームにでも使えるかなと思って。なんなら俺が医者になるぜ。料金は、そうだな、1時間24ダレルだ。特別にまけてやる』

マーティンは頬杖をついて文句を言った。

『先生。それはぼったくりというものですよ。1週間分の食費に相当しませんか?でも、気が向いたときにはボク、走らせてもらいます。気が向いたときだけ。それでも先生、よろしいですか?』