もうそろそろの時分です-36

(2月下旬。教会の庭にて。芽衣、ワシリイ掌院、その他複数の聖徒が花壇で作業をしているところ。)

 

「今日は珍しくあったかいわねー。このまま春になってくれればいいのにー」

「ホントそうよねえ。あたしももう歳だから、この寒さで足腰やられてウンザリよ。見てこれ、備長炭サポーター」

「そうそう、膝よね~、膝」

「ハゲマリヤさんはいいわよね、まだお若いから」

「ねえーホントに……って、あれマリヤさんどこ行った」

 

(花壇から少し離れたところでワシリイ掌院の真後ろに立ち、掌院のあとをついて歩く芽衣。)

 

「マリヤさん」

「はい何でしょう、ワシリイ掌院」

「先ほどからマリヤさんは私の後ろで何をしていますか」

「先日掌院に言われたことをしています」

「私が言ったこと?」

「はい。私についてきてくださいとおっしゃいましたので」

「これはこれはマリヤさん!」

「はい」

「マリヤさん、あなたはアヒルの子どもでしょうか?」

「そうかもしれません。わからないことがいろいろあるから、お父さんのあとをついて歩いています」

「どんなことがわかりませんか」

「ここに球根があります。私たち、今みんなでこうして花壇に球根植えたり種を蒔いたりしていますけど、天気が良いときもあれば悪いときもありますよね」

「はい、そうですね」

「台風のときとか、大雪のときとか。自然って、本当は球根に成長してほしくないのかな。球根に意地悪したいのかな。バカみたいですけど、ときどきそんなふうに考えちゃう」

「そうですね」

「球根は自分の体のなかに、大切な栄養をたくさん蓄えていると思うんです。でも、だったらなんで自然は、球根がまっすぐ育つことを邪魔するようなことするのかなって。球根、しぼんでいっちゃう」

「もしかすると自然は、本当のお父さんお母さんではないのかもしれません。必要なものをぜーんぶくれる、そういうお父さんお母さんじゃないかもしれません」

「……神さまは助けてくれないのかな」

「Sorry?」

「神さまは見てるはずなのに。自然が球根に意地悪するのを、止めないのかな?」

「ああ。なるほど。それはわざと、かもしれないね。ほらMay、見てごらん」

「?」

「はあ。どっこいしょ。ほらね、例えばデブの私、こうやって手で土を持つでしょう?」

「デブじゃないよ」

「でね、こうやってこうやって、穴に球根を置いて、土を上に乗せていくでしょ」

「はい」

「大事なのはね。私に手があること。Mayにもあるね。私たちの手で、球根に土を与える。私たちが神さまの代わりになって、球根に愛を与えます。だから、大変だけど、球根は頑張って成長しようとします」

「ああ……」

「今私たち軍手してるけどね、手は温かいでしょう?手を当てることは大切なのです。手当てって、日本語で言うね」

「はい」

「だから、May。Mayも、困ったときには、私の手を頼ってきていいのです。私も、困ったときには、Mayの手を頼りたい」

「私にはそんな力ないけどな……」

「そんなことない。あなたはヒマワリとか、そういう大きい花に似てる。笑顔とパワーあるね。もし自信なくても、またアヒルみたいに私の後ろにいてくれたら、私嬉しいね。さあ、一緒に球根、植えましょう」