その瞬間、ハーバートの喉からガゴゴゴゴシュッと不気味な音が鳴る。そしてその直後、ハーバートの丸い胴体がゴトゴト左右小刻みに揺れ出し、パーンッと爆発音が1回起きる。
「もうーやだ!床に全部ばら撒いちゃった…」
とある入院病棟の廊下。患者の女性がキャンディーの袋を派手な音を立てて破る。個包装の飴が病室前の廊下に飛び散る。女性はぶつぶつ文句を言いながら飴を1つひとつ拾っていく。
「もう!ハサミがないと不便で…」
「一時退院、おめでとう」
ひざまずいて飴を集めていると、男性の声が耳に入る。女性はふと顔を上げる。そこには小柄な男性がひとり、女性をじっと見つめながら立っている。
「大輔くん!」
男性は少し照れくさそうに頭をぽりぽり掻きながら、女性が拾い残した数個の飴を彼女に手渡す。
「梨香子ちゃん、久しぶり」
梨香子という名の女性は緊張したのか、スウェットパンツの太もも部分で右手の汗を拭おうとする。それでつい、せっかく拾い集めたばかりの飴を再び床に落としてしまう。
「ああ、もうあたしってば…」
「僕が拾うよ梨香子ちゃん」
梨香子、大輔という名の男性がかがんで飴を拾っていく様子を眺める。男性は飴をすべて拾い集めると、梨香子のスウェットパンツを見て遠慮がちに言う。
「あの、これ全部、ポケットに入るかな」
「あ、ああ…うん、入れてみる。ありがとう。で、あの、…大輔くんなんでここに?しかもなんであたしの一時退院のこと知ってるの」
男性はゆっくりと立ち上がると、気恥ずかしそうに答える。
「先週、高校の同窓会…というほどでもないけど、数人で飲む機会があってね。そのときに木下さんから梨香子ちゃんがここで入院してるって、聞いた。木下さん、何度かお見舞いに来てると思うんだけど」
「…うん、涼子だったら、これまでに何回か来てくれてるけど…、もうあの子、何でも喋っちゃうんだから…」
「それで僕、来たの。梨香子ちゃんに会いに。だからえっと、一時退院、おめでとう」
そう言うと大輔はリュックの中から紙袋を取り出す。
「お祝いにね、チョココロネ持ってきたよ。梨香子ちゃん小学校のときだったか、チョココロネ好きだって言ってたよね」
大輔は袋の中のチョココロネを梨香子に見せる。
「…うん、あたし好きだったよ、チョココロネ」
「僕んちに遊びに来たとき、母が焼いたチョココロネよく食べてたよね」
「…そんなことまで覚えててくれたの」
「あのね梨香子ちゃん、」
大輔は笑顔で紙袋の口を折って、梨香子に渡す。
「僕今、移動パン屋やってるんだ」
「パン屋さん?」
「そう。小さなバン1台運転してさ」
「お母さんと同じで手先が器用な感じだもんね、大輔くん。手作りとか、好き?」
「それもあるけど…、あの、梨香子ちゃん僕ね、」
「うん?」
「…梨香子ちゃんに食べてもらいたくて、それで店始めたんだ。このチョココロネも僕の手作り」
梨香子、紙袋の口を開けて再度中身を確認する。チョコとバターのほのかな香りが梨香子の顔の前に漂う。
「一時退院してまた入院しても、僕、会いに来るからね。今度こそ、ちゃんと来るから」
「大輔くん」
「僕、夢があるんだ。梨香子ちゃんには僕と一緒に移動パン屋やってほしい。元気になったらね。だから僕それまでは、梨香子ちゃんのこと待って、ひとりでパン屋続けるよ」
大輔はリュックを背負い、少し照れた様子で笑う。
「今日はまだ寒いね、4月上旬なのに。向こうに日当たりのいい場所を見つけたんだけど、そっちで少し、話さない?なんか、天使とかうさぎとか、壁に絵が描かれてるエリア、あるでしょう?」
大輔、そっと梨香子の左手をとる。梨香子、ためらいがちにその手を引っ込める。
「あの、ごめんなさい、点滴で浮腫んでて見苦しいものだから、つい」
「気にしないよ。大丈夫、きっと数日で治るよ、」
大輔、顔を赤らめて微笑み、再び梨香子の手をとる。
「さあ、行こう」
梨香子の歩幅に合わせ、ふたり並んでゆっくりゆっくり歩き出す。梨香子が歩を進めるたび、履いていたクロックスがカサカサキュッと音を立てる。大輔は梨香子の足もとを気遣いながら今一度微笑み、梨香子の背中に右手を添えて彼女の隣を歩いていく。梨香子、緊張しながら大輔に話す。
「ここ最近、ヘンな夢ばかり見てたの。太った宇宙人とか、19世紀から来た紳士みたいな人とか、とにかくヘンな夢」
「もうすぐ春だからね、」
大輔は笑って答える。
「春になったら、きっともう少し落ち着くよ。僕が作ったチョココロネの山の夢、とかね!」