「足りない」日々に戻る

これまで生きてきて、貧乏生活を体験したことは、…二度ほど(2期間ほど)ある。

 

ひとつは、今も続いているけども、健康上の理由で。こちらは「やむにやまれず」「強いられて」といった感じ。

 

もうひとつは、かつて自分自身の意図と意志とで長期貧乏旅行生活を送ったときのこと。

 

そこでここ数ヶ月間、考えている。

 

確かに今も体の都合でビンボーなのだけども、(ヘンな言い方だが)峠は越した…みたいな状態にあるのが私の現況なので、以前に比較すれば精神的にも物質的にも格段に余裕がある。

 

だから、…敢えて逆戻りしてみようと思っているのよね、貧乏な、「足りない、足りない」の生活に。

 

振り返ってみると、生活困窮しているときに限って(※その困窮がやむを得ない事情であれ自分の思惑によるものであれ)、おのれの心や魂といったものは、もうお前アホちゃうかと言いたくなるほどに研ぎ澄まされていたのです。

 

クリスチャンになったのも、そういう困窮・追い詰められ感があったからで。

 

だから私、もう一度原点に戻ってみようか、ああ足りない足りないどうしようと悩む日々を送り直してみようかと、今、思案しているところ。