とある国のとある街にある大学寮。6月。4階408号室、通称「剣とザクロの間」。ふたつのベッドとふたつの書き物机が押し込められたこの古めかしいヨーロッパ調の部屋の窓際に、豊かな口ひげをたくわえた青年がひとり立っている。
青年は着古したTシャツを脱ぎ、机の引き出しから裁縫箱を取り出す。それから白い木枠の窓をぐっと押し上げて開け、外の空気を入れる。青年は腰に手を当てて一度息を大きく吸う。彼は満足げな表情で針と糸を用意し、上半身素っ裸のまま、Tシャツの肩部分にできた穴を繕い始める。
廊下から慌ただしくも力強い足音が聞こえてくる。足音の持ち主は青年のいる「剣とザクロの間」の前で急停止し、ドアを勢いよく開け放つ。青年、顔を上げ、縫い物からドアへと視線を移す。
「聞いてくれ仁伊地、こりゃ思いもしなかった収穫だ、」
足音の持ち主がベージュのトレンチコートをはためかせ、興奮気味に部屋に飛び込んでくる。仁伊地という名の青年は、縫い繕っていたTシャツを自分の机の上に放り投げ、代わりに煙草に手を伸ばす。
「家巣お前、そのコート暑くないか?」
家巣という名のトレンチコート姿の青年は、明るめのボルドー色の帽子を脱ぎ、仁伊地青年に向かって投げる。帽子は仁伊地の左肩に当たり、じゅうたん敷きの床にポトリと落ちる。
家巣はコートの内側に着ていたワイシャツのボタンをひとつ、ふたつ、みっつと外し、首を何度も横に振る。
「僕のこの胸に今日こうして生まれ出た激情の温度に比すれば、6月の太陽など幼な子の玩具に過ぎないさ、」
「やめろ。お前に詩的な表現は似合わない。聴いてて耳にカビが生える」
仁伊地は天井に向かって煙草の煙を吐く。
「で、何だ、その思いもしなかった収穫とは」
家巣はウェーブのかかった長い髪を振り乱し、仁伊地のベッドに飛び乗る。
「きっと最高のパートナーになる、」
「悪いが俺は同性愛者ではないので、お前とはそういう仲にはなれんぞ、家巣」
家巣、再び首を大きく横に振る。
「違う。君じゃない。君じゃないんだが、僕は今日、素晴らしい可能性を秘めた未来のパートナーを見つけた」
家巣は胸の前で小さくガッツポーズを決め、興奮気味に話を続ける。
「7丁目の大衆食堂、あるだろう?『クレナイウズラマメ』っていう店」
仁伊地は退屈そうに煙草をふかし、左肩をポリポリ掻いている。
「ああ。あるな。前を通りかかったことなら何度もある。それで、どうした。そこで未来のパートナーを見つけたということか?」
家巣、今度は大きく首を縦に振る。
「女か」
仁伊地の質問に家巣は再び大きく首を縦に振る。仁伊地、呆れ顔で両腕を組む。
「あんな酒場にいる女、身持ち悪いに決まってるわ。お前も肝が据わっているというか、要は何でもござれ、なのだな」
「身持ちが悪かろうが、僕はそこは気にしない。まるっきり関与しないさ。むしろ、腹持ちが悪いことを大いに期待している」
「さてはお前」
家巣はまぶしい笑顔で答える。
「そう。そうなんだ。喜んでくれ、その『さては』なんだ。8月の大会の相棒としては、恐らく最高だろうと思う。ものすごく潔い食べ方だった、あれなら僕と一緒に今年のチャンピオンになれる。あんなすごい子、見たことがないよ」